2008年 12月 22日
静かなるサムライ |
100年に1度の金融危機が襲っている。新聞やテレビの論調を見たり読んだりすると、アメリカ型自由主義経済の破綻は明らかで、オバマ次期大統領もアメリカ型の資本主義の修正に向かって動かざるを得ないということだ。金融商品取引に対する規制を強め、ビッグ3の公的資金による救済などなりふりかまわず行うことになるだろう。それが大方の予想である。
しかし、1929年の大不況の後のルーズベルトの提唱したニューディール政策を仔細に分析すると、後世の研究者の意見は、あまり経済的には大した効果は無かったようだ。結局、不況を救ったのは第二次世界大戦だった。戦争による膨大な特需が産業の崩壊をくい止めたのだ。その線で行くと、民主党のケネディがベトナム戦争に介入する先鞭を付けたように、オバマ次期大統領は、文明社会に挑戦するテロの温床となっているアフガニスタンに否応なしに産軍複合体による産業活性化を求めることになるだろう。(まず、応援クリックしていただければ感謝します。)
オバマ新大統領が、アフガニスタンに巨大な兵力を差し向かわなくならざるを得ないのであれば、日本にとっては他人事ではない。ブッシュ政権以上に日本の、“boots on the ground”(ブーツオンザグラウンド)を求めてくるであろう。しかしながら、中国が早々とソマリア沖の多国籍軍による海賊取締りに3隻の軍艦の派遣を決定したのと対照的に、日本はイラクから自衛隊を引き上げた上に、バカな全空幕僚長の独断専行・敵前逃亡事件もあって自衛隊に対する風当たりも強く、この調子では日本のシーレーンを中国海軍に守ってもらいながら、尖閣諸島の中国船の調査に対しても一隻の軍艦も派遣できずに、後から保安庁の船を小出しにして文句だけ犬の遠吠えを続けるしかない麻生政権の状態である。自分の権益を対馬でも尖閣諸島でもソマリア沖にでもアフガニスタンでも守れないのに、それをあくまで自分自身の問題と捉えず、いつまでもプレ近代の頭脳構造をもって、他国のせいにしたがるのがネットウヨたちである。
それはさておき、オバマがアフガニスタンに来年大増兵し、乾坤一擲の戦いを挑むため、共和党の実力者ロバート・ゲーツ氏を国防長官に起用したのと同様にエリック・ケン・シンセキ(新関)氏を予算9兆円、職員数28万人の退役軍人省(VA)の長官に任命したのもうなずけるようなチームオバマの布陣である。
来年から本格化するアフガニスタンにおけるテロとの戦いは第二のベトナム戦争になるであろう。タリバン勢力は年々増大しており、アフガニスタンのカルザイ首相は今や首都カブールの周辺の点だけに勢力を及ぼしているに過ぎない。それに加えて、タリバンの本拠地は東隣のパキスタンの部族地域にあるという。アルカーダのオサマ・ビン・ラディンもその部族域帯に潜伏していると言われている。長期戦になるのは必死である。傷病軍人や戦没者を含めた退役軍人及び未亡人など退役軍人の家族の面倒を見るのが退役軍人省(VA)なのだ。その長官に就任するシンセキ氏は、静かなるサムライだと産経新聞は伝えている。
「シンセキ氏は、広島県から来た移民の孫で、日経米人として初めて最高位の陸軍軍人となったが、その就任式には「2世が何年も前に遠いヨーロッパの戦線でなしたことのため、私は疑われることも無く米市民としてあらゆる権利と恩恵を享受して生きて来られた。」という。極めて部下たちの信望が厚い将軍で、部下の間に本物の信頼と並外れた忠誠心を植えつけたと言う。しかし、陸軍長官などの評は「控えめでその指導力を自分の手柄にしない」というものである。退役軍人省の長官としてシンセキ氏の「私は2度、米兵士の背中で戦闘の中から運び出されている。私の彼らへの愛情は想像できるでしょう。」と述べた彼自身の言葉がその長官としての任務に適任であることを証明している。
シンセキ将軍は、イラク戦争前夜、地上軍には数十万規模の陸軍が必要であると表舞台でなく目立たないように自らを犠牲にして直言した。しかし、当時のラムズフェルドや日和見の某黒人将軍に退けられて叱責され冷や飯をくわされた。後にシンセキ将軍の正しさが証明され政策変更があった後も決して自分の手柄にしなかった。今回の人事は、オバマ次期大統領の人事で最も優れた人事である。シンセキ将軍は、ゲーツ長官の後の有力な国防長官候補になるだろう。
また、別の新聞報道によると、女性版の静かなるサムライが紹介されている。数少ないアジア人トップモデルとして世界で活躍する冨永愛氏だ。アジア人モデルに対する西洋人の偏見と闘い続けてきたという。「アジア人は黒しか似合わない、華が無い、セクシーじゃない、豪華じゃないっていう厚い壁、それをぶち壊してやる、見返してやる、という思いが支えになってきた。」と言う。ミラノコレクションなどでデザイナー自身がチエックする段階で、露骨にののしられ、シッシと追い出されたこともあったという。また、別の有名ブランドのショーでは、あからさまに侮蔑の表情を浮かべたデザイナーにみんなの前で公然と無視されたという。新聞はなぜこのようなデザイナーの実名を公表しないのか?もしグッチとかエルメスとかわかったら、絶対に買わない。と言っても小生はもとからブランド品など興味は無いが・・・・・。とはいえ、冨永愛氏は、数々の偏見をはねのけて、最近は着物の魅力をはじめ、「日本文化の復興」に目覚めているという。
もう一人の人物は、アルベルト・ケンヤ・フジモリ氏のことである。フジモリ氏は1990年には大統領に就任したものの、議会はアメリカ革命人民同盟と右派連合・民主戦線の二政党が上下院ともに支配していた。自身の政策を円滑に進める為の新法立法を望んだフジモリは、1992年4月5日に自身の政府に対してクーデター(アウトゴルペ)を実行した。フジモリ氏の目的は大統領の権限を強化し、政府と国会の改革を断行することにあった。自己クーデターの後の73パーセントの国民の圧倒的な支持を得ていたフジモリ元大統領も、アメリカ系の白人支配者の権益を損ねたために結局のところ、2000年に白人シンジケートに政権を追われた。
2005年の大統領選挙にも有望視されたが、日本出国後のチリ政府による逮捕で出馬を果たせなかった。同時に行われた国会選挙では、娘のケイコ・フジモリが60万票以上の個人票を獲得して全国トップで当選し支持の根強さも見せた。その後、ペルー政府に逮捕されたままで、怪しげな在日といわれるホテルオーナー女史と結婚したり、国民党から参議院に立候補したりしたが、昨年末に6年の禁固刑を受け確定した。何でもありの南米世界では勝てば官軍負ければ禁固刑だ。ペルーの一握りの米系及びスペイン系白人の利権に挑み、圧倒的多数はインディオと混血のメスチゾからなるペルーに改革、近代化をもたらしたフジモリ氏の半生には、小生は敬意を表したい。
100年に1度の大不況とはいえ金曜日の晩も気のおけない友人たちと忘年会で大いに楽しんで日頃の憂さと財布の紐を吹き飛ばしたのであった。見て味わって楽しむ日本料理の最初の一杯は急に来れなくなった某法律事務所のオーナーが一箱、集まりの席の日本料理屋に送ってくれた”PaulBara”だった。1本開けてその香りの良さに皆脱帽して、残りは一本ずつお土産に持って帰った。二次会は某所に行ったが、ちょっと呑みすぎて、土日はブログの更新はお休みとなってしまった。
忘年会の席での会話は、どうしてもこの不況の話や政府の政策の話になってしまって、忘年会としては、幹事の小生ももっと楽しく明るい話にすればよかったと二日酔いから覚めてみて、反省することしきりであったが・・・・
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注記:ここで言うネットウヨとは、グローバル化し,複雑化していくポスト近代に乗り遅れ、付いて行けない人々が,そのフラストレーションを陳腐で幼稚な嫌中,嫌韓のトンデモ本などに不満解消を求め、ネット社会において夥しく繁殖し、トンデモ史観を振り回し、欧米アジアからの日本人はプレ近代で偏狭な歴史修正主義であるという反日の契機を与え、結果的に日本国の国益を害する人たちのことを言う。
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しかし、1929年の大不況の後のルーズベルトの提唱したニューディール政策を仔細に分析すると、後世の研究者の意見は、あまり経済的には大した効果は無かったようだ。結局、不況を救ったのは第二次世界大戦だった。戦争による膨大な特需が産業の崩壊をくい止めたのだ。その線で行くと、民主党のケネディがベトナム戦争に介入する先鞭を付けたように、オバマ次期大統領は、文明社会に挑戦するテロの温床となっているアフガニスタンに否応なしに産軍複合体による産業活性化を求めることになるだろう。(まず、応援クリックしていただければ感謝します。)
オバマ新大統領が、アフガニスタンに巨大な兵力を差し向かわなくならざるを得ないのであれば、日本にとっては他人事ではない。ブッシュ政権以上に日本の、“boots on the ground”(ブーツオンザグラウンド)を求めてくるであろう。しかしながら、中国が早々とソマリア沖の多国籍軍による海賊取締りに3隻の軍艦の派遣を決定したのと対照的に、日本はイラクから自衛隊を引き上げた上に、バカな全空幕僚長の独断専行・敵前逃亡事件もあって自衛隊に対する風当たりも強く、この調子では日本のシーレーンを中国海軍に守ってもらいながら、尖閣諸島の中国船の調査に対しても一隻の軍艦も派遣できずに、後から保安庁の船を小出しにして文句だけ犬の遠吠えを続けるしかない麻生政権の状態である。自分の権益を対馬でも尖閣諸島でもソマリア沖にでもアフガニスタンでも守れないのに、それをあくまで自分自身の問題と捉えず、いつまでもプレ近代の頭脳構造をもって、他国のせいにしたがるのがネットウヨたちである。
それはさておき、オバマがアフガニスタンに来年大増兵し、乾坤一擲の戦いを挑むため、共和党の実力者ロバート・ゲーツ氏を国防長官に起用したのと同様にエリック・ケン・シンセキ(新関)氏を予算9兆円、職員数28万人の退役軍人省(VA)の長官に任命したのもうなずけるようなチームオバマの布陣である。
来年から本格化するアフガニスタンにおけるテロとの戦いは第二のベトナム戦争になるであろう。タリバン勢力は年々増大しており、アフガニスタンのカルザイ首相は今や首都カブールの周辺の点だけに勢力を及ぼしているに過ぎない。それに加えて、タリバンの本拠地は東隣のパキスタンの部族地域にあるという。アルカーダのオサマ・ビン・ラディンもその部族域帯に潜伏していると言われている。長期戦になるのは必死である。傷病軍人や戦没者を含めた退役軍人及び未亡人など退役軍人の家族の面倒を見るのが退役軍人省(VA)なのだ。その長官に就任するシンセキ氏は、静かなるサムライだと産経新聞は伝えている。
「シンセキ氏は、広島県から来た移民の孫で、日経米人として初めて最高位の陸軍軍人となったが、その就任式には「2世が何年も前に遠いヨーロッパの戦線でなしたことのため、私は疑われることも無く米市民としてあらゆる権利と恩恵を享受して生きて来られた。」という。極めて部下たちの信望が厚い将軍で、部下の間に本物の信頼と並外れた忠誠心を植えつけたと言う。しかし、陸軍長官などの評は「控えめでその指導力を自分の手柄にしない」というものである。退役軍人省の長官としてシンセキ氏の「私は2度、米兵士の背中で戦闘の中から運び出されている。私の彼らへの愛情は想像できるでしょう。」と述べた彼自身の言葉がその長官としての任務に適任であることを証明している。
シンセキ将軍は、イラク戦争前夜、地上軍には数十万規模の陸軍が必要であると表舞台でなく目立たないように自らを犠牲にして直言した。しかし、当時のラムズフェルドや日和見の某黒人将軍に退けられて叱責され冷や飯をくわされた。後にシンセキ将軍の正しさが証明され政策変更があった後も決して自分の手柄にしなかった。今回の人事は、オバマ次期大統領の人事で最も優れた人事である。シンセキ将軍は、ゲーツ長官の後の有力な国防長官候補になるだろう。
また、別の新聞報道によると、女性版の静かなるサムライが紹介されている。数少ないアジア人トップモデルとして世界で活躍する冨永愛氏だ。アジア人モデルに対する西洋人の偏見と闘い続けてきたという。「アジア人は黒しか似合わない、華が無い、セクシーじゃない、豪華じゃないっていう厚い壁、それをぶち壊してやる、見返してやる、という思いが支えになってきた。」と言う。ミラノコレクションなどでデザイナー自身がチエックする段階で、露骨にののしられ、シッシと追い出されたこともあったという。また、別の有名ブランドのショーでは、あからさまに侮蔑の表情を浮かべたデザイナーにみんなの前で公然と無視されたという。新聞はなぜこのようなデザイナーの実名を公表しないのか?もしグッチとかエルメスとかわかったら、絶対に買わない。と言っても小生はもとからブランド品など興味は無いが・・・・・。とはいえ、冨永愛氏は、数々の偏見をはねのけて、最近は着物の魅力をはじめ、「日本文化の復興」に目覚めているという。
もう一人の人物は、アルベルト・ケンヤ・フジモリ氏のことである。フジモリ氏は1990年には大統領に就任したものの、議会はアメリカ革命人民同盟と右派連合・民主戦線の二政党が上下院ともに支配していた。自身の政策を円滑に進める為の新法立法を望んだフジモリは、1992年4月5日に自身の政府に対してクーデター(アウトゴルペ)を実行した。フジモリ氏の目的は大統領の権限を強化し、政府と国会の改革を断行することにあった。自己クーデターの後の73パーセントの国民の圧倒的な支持を得ていたフジモリ元大統領も、アメリカ系の白人支配者の権益を損ねたために結局のところ、2000年に白人シンジケートに政権を追われた。
2005年の大統領選挙にも有望視されたが、日本出国後のチリ政府による逮捕で出馬を果たせなかった。同時に行われた国会選挙では、娘のケイコ・フジモリが60万票以上の個人票を獲得して全国トップで当選し支持の根強さも見せた。その後、ペルー政府に逮捕されたままで、怪しげな在日といわれるホテルオーナー女史と結婚したり、国民党から参議院に立候補したりしたが、昨年末に6年の禁固刑を受け確定した。何でもありの南米世界では勝てば官軍負ければ禁固刑だ。ペルーの一握りの米系及びスペイン系白人の利権に挑み、圧倒的多数はインディオと混血のメスチゾからなるペルーに改革、近代化をもたらしたフジモリ氏の半生には、小生は敬意を表したい。
100年に1度の大不況とはいえ金曜日の晩も気のおけない友人たちと忘年会で大いに楽しんで日頃の憂さと財布の紐を吹き飛ばしたのであった。見て味わって楽しむ日本料理の最初の一杯は急に来れなくなった某法律事務所のオーナーが一箱、集まりの席の日本料理屋に送ってくれた”PaulBara”だった。1本開けてその香りの良さに皆脱帽して、残りは一本ずつお土産に持って帰った。二次会は某所に行ったが、ちょっと呑みすぎて、土日はブログの更新はお休みとなってしまった。
忘年会の席での会話は、どうしてもこの不況の話や政府の政策の話になってしまって、忘年会としては、幹事の小生ももっと楽しく明るい話にすればよかったと二日酔いから覚めてみて、反省することしきりであったが・・・・
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by tokiwater2008
| 2008-12-22 21:15
| 日本の文化